「映画「ファニーゲーム」はなぜ美しいのか?」
どうも長所は、獲りたての枝豆は依存するくらい美味しい、且つ、虫がいる場合が多い事を知ってる青々キリコです。
映画「ファニーゲーム」(USA版ではないです)
1997年にカンヌ映画祭出品で、僕はDVDで観たんですが、今のDVDのパッケージはちょっとカッコイイ感じになってますね。
この映画観た人、色々と思う所が多いというか
観なきゃ良かったという人も多いと思います。
僕も、おぉキテルねと思ったし、人にはそんな薦めないですね、この人は大丈夫だろうという人しか。
自分の感覚での話になります。
一番最初、観終わった時、「完璧だな」と思いました。
「パーフェクトな映画」
同時に、なんて「美しいんだろう」とも。
キレイでも言葉はいいかなと。
ストーリー、いや内容としか言えないかなと、内容が内容なんだけど、一切の淀みなく、氷上をスーって、スーって行く感覚があって。
勿論、映像美もあるんだけど、それよりも不純物がないと。
映像の中では、色々と起こってる、そこでそう!?といのもあったり。
ただ、それや、人間模様が一切関係ない、単純にそれらすら、ロードムービー的に通り過ぎていくような感覚。
不条理だし、どうなるんだろうとドキドキみたいのもするし、感情も動くんだけど、それ以上に単に通り過ぎて、そこに淀みが一切ないと感じるから、
「美しい映画なんだろう」
と。
オープニングがずっと続いてる感じもあったり。
なので、とても特別で、大好きな作品です。
監督が「ミヒャエル・ハネケ」。
いい意味で、化け物みたいな監督でたまらなく好きな人です。
当たり前に、何か作品で、提示したい物事やメッセージ的な事がある作品は多々だけど、この人のは個人的に特に、この世に作られなきゃいけないモノだと思うから。
映画「ファニーゲーム」、これがあって映画っていう括りだけじゃなく、良かった。
相当好きだったり、特別な何かがないと、映画を2回以上って観れないんですが、これは観れた作品の一つです。
「不純物がない、美しい」、言葉に幅があるから、それぞれどう意味を取るかはわからない、けど、共感できる人もいるだろうとも。
美しい何かというのがとても好きだけど、それには言葉の幅があるから。
後、「美しい」ってもっと実際に言葉に出して使った方がいいなぁと個人的に思うとこです。
言葉として、特別感が大きいからかな。
美しい獲れたての枝豆だね。(豆出した時のキラッ♪ってしてるとこ)